「立派になりたい」 ~できるだけ素直な気持ちとセミブラフでつづります~
9.記憶力と直観力は反比例
2020-07-18
老化なのかわかりませんが、度忘れが増えてきています。
割と記憶力が良いほうだと自分で思っているので、それに頼ることが多いのだが。
名前だったり、いつもの準備が一つだけ抜けていたり。
名前の度忘れは本当に失礼なことです。申し訳ない。
先日は、給食のデザートとしてついているキウイを、焼き魚とお米を咀嚼している口の中に、お漬物をつまむがごとく、放り込んでしまいました。
入れた瞬間、味の異変で間違いに気づき、一人で赤面してしまいました。
食べる順番なんて自由ですし、誰も見ていないのに赤面してしまいました。
悔しかったんでしょうね。恥ずかしかったんでしょうね。
僕が食事中に赤面していたら、デザートを食べてしまったと思ってくれたらいいです。
なんというか、記憶や動作に歳を感じます。
運営において必要な事項をしっかりと頭にストックできているでしょうか。
それは、いつまでストックできるのでしょうか。
羽生善治さんが記憶力の低下から勝てなくなって、直観を信じて将棋を指すようになってから、大復活を遂げたという本を読んだことがあります。
僕の記憶力が低下しても、今の法人のクオリティーを保つためにどうすればよいかよく考えます。
チェックリストやマニュアルを、すぐに確認できるスタイルで置いておくことや、今まで選択してきたことの根拠の記録を今のうちにしっかり整理できたらなと思います。
チェックリストやマニュアルもデザインが大事。増えるだけで意味がないようでは使えませんからね。
年を重ねる度に経験を積むから、直観力は研ぎ澄まされていくので、そこは楽しみでもありますが。
僕がみなさんの記憶力を頼るようになる時、みなさんが僕の直観力を頼ってくれるように頑張りたいと思います。

8.年功序列 VS 成果主義
2020-06-26
賞与の日です。
今まで15日だったのだけれど、25日にしました。
しかも給与と合算で振り込みます。
賞与給与ダブルなので見た目気持ちいいかなと思ってね。
振込手数料が一回分得になるというのは内緒です。
言ってしまいました。
成果主義が日本に輸入されたというか、流行ったのは20年前くらいですか。
結果を出した人が上に行くのは当たり前という発想。
分かりやすいですね。
終身雇用と年功序列が当たり前の時代からかなり変わりました。
そのころの話ですが、成果主義を取り入れた企業が、まさかの業績悪化という事態が頻発したようです。
不思議ですね。
普通、業績あがるんじゃないですか。だから取り入れたんですよね。
からくりは、先輩が後輩へ教えなくなった。ということらしいです。
なるほどね。
たしかに後輩へ教えるメリット何もないですからね。
教えて後輩が育つこと自体が、自分の立場からしたら脅威でしかないですから。
教えてもらえない若手は、チャンスどころかいつまでもミスを連発して顧客が離れていくという悪循環に陥ったそうです。
日本において、年功序列は大切な文化だということがわかりました。
年功序列って四文字熟語が響き悪いですね。なんか、ね。反発したくなるような言葉の響きです。
でも、年功、だけとるといい言葉だなと思います。
年の功です。
うちの業界が初めてだったとして、目の前の業務ができなかったとしても、年の功へのリスペクトは絶対に忘れてはいけない、と思っています。
ほかの世界で活躍してきた重み、年の数だけ積み重ねた経験や哲学、直観があるはずです。
僕はこの立場でそれを無視してはいけない。
前回の人事考課の話とは矛盾する話に聞こえるかもしれません。
頑張る人をちゃんと評価するために情けは無用と言ったわけですから。
だけど、年配の方を敬わないとは言っていないし、
もっと言えば、できない人を冷遇するとも言っていません。
賞与はそんな気持ちも入っています。
僕は、70億人の中で、広い地球の、日本という国の、関西の、兵庫県の、たつの市の小さい会社で出会った人たち全員を感謝の気持ちをもってリスペクトしています。
よく選んでくださった。
数奇な運命のめぐりあわせの中で出会ったのですから。大切にしたいです。
その人が今までどんな人生を歩んでこようがが、これからどんな人生を歩もうが、僕がこの会社で出会った人たちみんな、幸せになってほしいと思っています。
うちを選んでよかった!と思ってくれるように日々努力です。
これは職員の皆さんだけでなく利用者さん、その保護者の方々にも思うことです。
楽しいだけの人生なんてあり得ません。
つらいだけの人生もあり得ない。
でもそんな気分になるときもありますね。
風吹く日も、雨の日も、虹えがいていきましょう!
感謝!!

7.マジョリティーシフト
2020-06-19
マジョリティーシフトという言葉はご存じですか。
少数(マイノリティー)が多数派(マジョリティー)に移行(シフト)するということです。
昔、携帯電話を持つ人(少数派)が、今や人類全員持つ(多数派移行)ようになるとか。
昔、馬鹿にされて見向きもされなかったのが、今や当たり前になるとか、そういうやつです。
これは良いこともありますが、悪いこともあります。
発言力のある人が、何か発言すると、みんなそれに賛同してしまう、ということがあると思います。
その発言が本質的に良いとか、間違っているとか関係なく。
発言力がある人は、そういうリスクを考えて発言しないといけないですね。
僕も今やそのうちの一人でしょうか?
昔話なんですけど。
学生時代、食堂でみんなでお昼ご飯を食べていた時、
「あさづけのあさは、朝だよな」の話になりました。
僕は、とっさに「朝漬け」じゃなくて、「浅漬け」やで!
と突っ込んだんですけど。
「え!?ちゃうちゃう!!!」
と、みんなに突っ込まれたんです。
まさかみんながみんなして突っ込むなんて、
これっぽっちも思っていなかったんで、
ものすごく恥ずかしくなって、赤面してしまいました。
懸命に「浅漬け」であると言い張っても、
「なにゆーてんのかな、しつこいね」って目で見合わせている空気感。
さいごには、
「おまえが言いたいことは、分るけど、あさづけのあさは朝なんやで」
と、なぜかリーダーっぽい奴が、そう締めくくったんです。
それはやさしく。僕をなだめるように。
悔しくって、ぷんぷんしながら教室にダッシュで帰って辞書でしらべたら、
ほれみろ!!!!「浅漬けやんけ!!!!!!!」
辞書もって、そいつらんとこに戻りました。ダッシュで。
さっきの赤面返せ。
「な!浅漬けやろ!?俺が正しかったんや!!!」
そういうと、1人が、ボソッと声にだしたんです。
「え?でも、エバラの、あさづけのもとは、朝のほうやんな?」
全員が、うんうん、そーやそーやと言い出した。
話題すりかえられたことにも、冷静に突っ込むことができず、
また赤面して、エバラのなんかしるか!ですよね、まじで。
「ふじた、あさ漬けは浅かもしれんけど、あさ漬けの素は朝なんやで」
と、またリーダーっぽいやつがね。
それはもうとてもやさしく。なだめるように。
悔しい思いをして、家に帰って、テレビをつけると、、、
「浅漬けの素やんけ!!くっそーあいつら!!!!」
悔しいですね。世の中不条理です。
間違ったことでも大多数派意見になることがあるということです。
モラルやメディアもそういうことがあると思います。
大多数派が、必ずしも正しいとは限らない。
みなさんも巻き込まれないよう、そして巻き込まないように、お気をつけて。

6.「見えない敵」三種混合試合
2020-06-11
いまもなお、「見えない敵」との闘いは終わっていません。
保護者の皆様、今のところ何とか、職員利用者ともども感染者を出さずに過ごしています。
保護者会などずいぶん疎遠になっておりますが、みんな元気です。ご安心いただければ幸いです。
マスクや消毒液など、今となっては大変貴重なものを、大変な時期にご寄付いただきました皆様、心より深く感謝申し上げます。そのお気持ちを最大限くみ取って、大切にしながら有効活用させていただきます。本当にありがとうございました。
また、今大変でしょうと果物、おやつや軽食など差し入れをしてくださった皆様にも深く感謝申し上げます。いつも運営にご理解ご協力をいただきまして誠にありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・
当初は、本当に怖かったですね。
「見えない敵」と言いますが、目に見えないどころか、
情報もないから、イメージもできない恐ろしい存在でした。
下手な行動によってとんでもない事態にならないように、とビクビクするしかなかったです。
役職のついた人の歓迎会で感染したなどニュースでガンガン責められていましたから、僕も役職のついた身として、引きこもる以外にやりようがないなと思っていました。
職員、利用者の誰かが、絶対に感染する…。
三月、そんな覚悟もしました。
しっかりと対策すればすべてに勝てる?
そんなわけがない。
空気中に飛んでいるウイルスが目に見えて避けられるのなら勝てますが。
スーパーへ行く。
通販も配達員に会う。
出前も料理人が作っている。
人と交わらない方法がない。
施設では、密接に介助をする。
40人近い職員と80人近い利用者さん。
在宅勤務もできない業種で、どうやって予防しましょう。
クラスター感染予備軍最高位の施設と思います。
いくら職員がみんな真面目に自粛しても感染の確率はゼロにはならない。
飛んでくるから。
ガイドラインできました。
うがい手洗いの徹底とマスク。
ソーシャルディスタンスを保つ。
三密を避ける。
ありがたいなと思いました。
このガイドラインさえしっかり守っていれば、感染しない、ではなく、
もし感染しても、非難されることはない、と思うようになりました。
僕が、感染して非難されるかどうか、のレベルではないです。
僕と、うちの職員全員の誰かが感染して、クラスターを引き起こし、
施設内すべて閉鎖になり、レッドゾーンとかそういうやつになった場合のことも想定して、
そうなっても非難されることはない、ということです。
ガイドラインが心のよりどころと言いますか。
拠り所にせざるを得ないくらい右往左往したと言いますか。
少なからず、施設内支援でも
「何もできないじゃん!!」
から、
「こういうのはできるね」
に変えられたのが良かったです。
僕思うんですけど、
見えない敵って、「ウイルス」だけじゃないなと。
「モラル」という見えない敵、
「自己欲求(今までの慣性や惰性も込みで)」という見えない敵
の三つ巴の闘いが同時に起こっているんじゃないかと。
「ウイルス」にやられたとき、
その原因が「自己欲求」だとしたら、日本中の「モラル」というでかいスピリチュアルなものに徹底的に非難される。
それは、ウイルスそのものよりも強大で恐ろしい見えない敵だと思っています。
「別に大丈夫ちゃうん」
という言葉に乗っかれない。
別にて…
ちゃうん?て…
「絶対大丈夫、すべて責任取るから」
て、言えるわけないでしょ。責任取れないもの。
言えるわけないのになんで誘うん。
「施設行事、解除になったし行けるでしょ。」
「行けるでしょ?」
「でしょ」ってなに。
「でしょ」に僕が「せやな」って言えばいいんか。
50人が暮らしている施設ですよ。
感染症対策委員会を年に何回も開いて、何度も同じこと再確認再周知して、何とか乗り切っている施設ですよ。
ここまできたら、見えない敵三つ巴に勝つには、
完全収束まで、後手の後手、しんがりくらいから様子見て動く。
というくらいが運営責任としてはちょうどいいのではないかと思っています。
ここはとにかく安全第一で行きたいと思います。
まだびびってんの?と笑われるまで待つ感じがちょうどいいと思います。
まぁ、とにかくむつかしい局面が続いています。
それはさておき、
しかも、そんな話をしておきながら、
僕は、非常事態宣言解除になってから、久しぶりに街へ出て居酒屋を堪能しました。
現代人の営みというか、夜の仲間とお造りとお酒は本当に至福の時です。
久しぶりすぎて感動すら覚えました。やっぱこれだね、と。
は?理事長なにしてんの?
早々に居酒屋はなしでしょ。
って思った人います?
僕はモラルに反していますかね。
こんなことブログで書くのは冷や汗でます。
いや、とても楽しかったのですが、ほかのお客さんがいるのを見ると、ちょっと怖いな、という感覚を持ちました。満席に近い店にはさすがに入る気にはなれませんね。
かといって店は店で商売ですから、誰も責められるものではありません。
行く人は行く人で責められるものでもないです。
店もガイドラインに沿って良識の中で開店されているはずです。
我々はガイドラインに沿った良識ある行動の中で、楽しく経済を動かしていきたいものですね。
で、「良識ある行動」ってなんや、見えない敵また増える~。

5.人事考課は情け無用
2020-05-29
人事考課の季節です。嫌いです。人事考課。
人事考課の国家試験に合格したわけでもないのに人を評価する。
何様でしょうね。ほんとつらい。
人事考課に携わることに誇り高く感じているならその人は、会議からはずしていいと思います。
悶々と、目が窪んで白髪が増えてしまうくらい悩んでちょうどいいくらいですか。
それでも良い評価であるかどうかわからない。
良かったと思うのならそれは100%中、10000%自己満足です。
厳しいですね。そんな厳しい仕事、誰もしたくないです。
だったらそんなものしなくていいですね。
人事考課なしの実現。
給与も賞与も全員同額。
どうでしょう!平等で良いじゃないですか。
仕事の取り組み姿勢が平等なはずがないので。
したがって、給与や賞与が平等分配なはずがないので。
競争原理のない平等に、会社も個人も成長はないでしょうね。
結局、人事考課は必要です。
みんなのために。頑張る人のために。
公平な評価をしなくてはいけません。
僕も人事考課に携わります。人を評価します。
罰当たりなことをしている感覚になりそうです。
当然、人事評価についてはそれなりに勉強しました。
5段階評価とかABC3段階とか、ふざけるなですよ。
高評価が全体の2割になるように割り振るみたいなのもふざけるなです。
なんで上2割だけなんですか。上10割の可能性もなくはないのに。
昔こんなことあったから、この人はこんな人!という評価、
いつの話してるんですか。
国家資格を持っているから有能!という評価、
その人、職場で資格活かせているんですか。
色眼鏡で評価されたくないですね。
うちの法人は、現状において、なんとか及第点レベルの人事考課制度を作りました。毎回なんらかの課題は出てきますが、おそらくみんなにとっては、ましなものになっているんじゃないかな、と思っています。「ましなもの」でやるな、と言われそうですが、完璧な制度はありえないです。
たくさんの項目すぎて、評価者にものすごい負担が生じていますが。
色眼鏡ゼロ推進。5年前の大ミスを引き合いに出すようなことは絶対ないです。2年前の仕事がしんどくて笑顔がなかったあの頃を引き合いに出すことは絶対ないです。
それでも問題があります。
それは情けです。
上司としての優しさ。
「この方のこの項目、もう少しあげてあげたいです。」
この言葉、もっと責任感じたほうが良いです。
その人にとったらうれしいことでしょうけれど、満点をとっている人からしたら、その満点の価値が薄まります。
下が上がるって、平均点が上がるので、上の偏差値が下がるわけです。
ものすごい努力して満点を獲得した人には失礼なことなのです。
冷たい言い方のようですが、情けは人をひいきに導きます。
その人は、そこで上げなくても、別の項目で評価できる項目があるはずなのです。
とか言ってたら、無難に無難に、みんな平均点近辺、みたいなことにもなりかねず。
ね、上げるとか、下げるとか、ほんと偉そうでしょ。
人を評価するなんて、やはり、恐れ多いことなのです。
毎回人事考課の後、僕は幹部に酷評します。
後味悪くします。
完璧な評価なんてロボットか神様でなければありえない。
一生懸命やっても、なお、完璧はありえないということを再認識して終わります。
職員の皆様、いつもありがとうございます。
幹部の人たちは、皆さんのことよく見てると思います。
そうでないなら、絶対に口に出して言ってくださいね。
