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理事長のブログ

「立派になりたい」 ~できるだけ素直な気持ちとセミブラフでつづります~

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4.一枚上手の好敵手になりたい

2020-05-25
みなさんは娯楽で勝負事をしたりしますか。
 
テニスや卓球、ゴルフ、マラソンなんかは勝負事ですかね。
将棋や囲碁、麻雀も勝負事ですね。
他には、オセロにポーカー、モノポリーやスコットランドヤードなどのボードゲーム、
マリオカートやフォートナイトなどのテレビゲームもそうですね。
娯楽の世界にも勝負事はたくさんありますね。
 
どの世界でも一枚上手の人っていますね。
なかなか勝てませんね。ライバル視をして練習したり研究したりしてもなかなか勝てない人いますね。悔しいです。
 
悔しいけど、たぶんその人は僕がそのゲームに対して見えている世界よりも、深く広く見えているのだと思います。
そのものに対する思考が自分より優れているから一枚上手なわけです。
そして、一枚上手の人は、自分のことを下だと認識しているはずです。
 
 
 
高校の修学旅行で、ホテルのロビーにオセロがありまして。
何かの待ち時間だったか、たまたま隣にいたクラスメイトとやろうかという話になり。
全戦全敗でしたね。むきになって何度も挑みましたが、壊滅的にやられました。
一枚上手どころか、孤高の人だったのかもしれません。
 
でもこちらからすれば、孤高の人かどうかすらわからないのです。一枚上手が、どれだけ上なのか、下手からは全くわからないのです。見えてないというやつです。本気なのか手を抜いて遊ばれているのかすらわからない。
手が届きそうで届かない。もう少しで勝利と思った矢先にやられる。何度も。
 
僕はその悔しさから、オセロの本を読み込みました。その本には世界戦の棋譜などもあり、オセロボードを買って、一人でパチパチとやりました。結果、たぶんわりと強くなりました。今ならそのクラスメイトにも互角の勝負ができるんじゃないかなと思うわけです。
悔しさから研究するという姿勢は動機が不純かもしれませんけど、人生において自ら選ぶことのないジャンルへの挑戦という意味では、視野が広がってよいことだと思います。
 
研究というか、勉強をして、いかに自分がオセロというゲームを知らなかったか、ということが身に染みてわかりました。
そこにはとても深い世界があるということを知りました。
先手、後手で戦略は違います。定石も数学も使います。
そして運で勝つことはありえないゲームです。
 
挟んだ石をひっくり返すだけのゲームなのにね。
びっくりでしょ。
 
それをクラスメイトはすでに知っていたわけです。勝てるわけがない。
 
ぶっちゃけ、オセロじゃなくて将棋とか囲碁だったらもっとかっこ良かったのに、と思いますけれど。オセロで悔しい思いをしてしまったばっかりに。(※オセロは非常に良くできたゲームです。)
 
 
 
年配の方のお説教が、よくわからないことがあります。
当たり前のことのように思えるのに、非難されているとか。
 
「もっと感謝をしなさい」とか「謙虚さを忘れるな」とか、そういうやつです。
 
いや、感謝してますし。
偉そうにしてるつもり全くないですし。
といえば、反論する時点でまだまだ、と返ってきます。
 
そういうのは、がんこなおっさんの酔っぱらいの説教なんて思っていましたが、最近は、僕には見えていない世界が見えているのだろうな、と思えるようになりました。
 
一枚上手の人の話は、下には伝わらない時があります。
その時、下は、この人が上手であると考えずに反発したりします。
一方で、上手の人は、確実に、「あ、この人俺が言ってることわかっていないな。」とわかっているのです。
精神面の話でも知識の話でも経験の話でも、どこにでも一枚上手の人はいます。
 
この年で難しい哲学の本を読む気にもなりません。今更、勉強しなおすこともないでしょう。
でも人生時すでに遅しとあきらめたり、後悔したり、ひがんだりしたくないです。
誰にでも一枚上手であれば、なんでもうまくいきますが、そうはいきません。
せめて一枚上手の人に、お、やるな?と言わせるくらいありかなと。
 
 
 
一つだけ気を付けていることがあります。
 
ヒット作品を
 
「頑張って」読みます。
「気合で」鑑賞します。
 
娯楽限定ですが。
 
アニメでも漫画でも映画や音楽何でも来いです。
とにかく娯楽限定です。
 
世の中の大多数が評価した「娯楽ごとき」を「僕が理解できない」なんてことがあれば、
世間の人が、自分よりも一枚上手ってことでしょ。それ悔しいでしょ。
 
誰かに負けても、世間には負けたくないかな。
いや、娯楽ごときに負けたくないのか。
ちょっとわからないです。
 
てことで、今、進撃の巨人(漫画のほう)に悪戦苦闘しております。大ヒット作品なのに僕にはどうも難しいようです。
進撃の巨人を読みながら、考えこんでしまった話でした。
進撃の巨人には負けません。

3.すれ違いに揺れる酢豚のアイデンティティ

2020-05-18
まだ酢豚の話するんかい。
 
いや、なんか声が聞こえてきたのでつい。
 
公平な価値観でサービス提供するべきという本質から、僕はあくまで、公平な酢豚を要求したわけです。僕の立場上、やはり言っておかなければいけないところかなと。
 
すぐ、その場で言う、ということ、とても大事なことです。相手が嫌な気持ちになることもあるのはわかりますけれど、今というタイミングを逃しては、もう言うことができなくなることばかりです。
 
だけど、なごやかに伝えたいという気持ちのおかげで、食いしん坊と伝わってしまい、それに対して、母性からくる愛情の酢豚が返ってきたわけです。
 
「たくさん入れてあげるね。」と。
ありがたいですね。その気持ち、一生忘れません。ありがとう。
 
でも、もし、
横に誰かいて、このやりとりを見ていたとしたらこわいなと思うわけです。
 
理事長が自らの職権で、肉をもっと食べたいと要求し、公平であるべきみんなの肉を独り占めにした、というとらえ方もできるわけです……。
 
 
「理事長、あなたは、肉をもっと食べたいから、次から増やせと言ったそうですね?」
 
 
「いえ、そうではなく、私は公平な価値観でサービス提供することが正義だと思っていますので、私の酢豚が、肉と野菜のバランスに極端な偏りがあり、私の酢豚がそうなら、ほかの酢豚のバランスにも影響があり偏るから、ざっくりでいいので公平なバランスを次から気をつけてほしい、という内容を伝えました。」
 
 
「理事長、証言もあるんですよ、実際になんと伝えたのですか?正直に言ったらどうなんですか!」
 
 
「肉、もっと入れて、と言いました・・・。」
 
 
はいアウト。
 
 
「理事長、あなたはその肉しかない酢豚を受け取ったのですか?」
 
 
「愛情を受け取りました。」
 
 
「つまり、食べた、ということですか。」
 
 
「愛情を受け取りました。」
 
 
「はっきり言ってください、食べたか、食べてないかを聞いているんです!」
 
 
「食べました。」
 
 
ジエンド。
不信任決議案可決。
 
 
どんなにまじめな主張をしていても、
僕の言葉足らずなばっかりに、
 
 
これは、忖度の酢豚ですよ。
 
 
役職ってこわい。
簡単に失脚できますね。
 
 
こういうことはよく起こることじゃないかなと思います。そしてだれも得しない。
だから説明をするという行為は、細やかに、しつこいくらい細やかに、そして理解してくれているか確認しながら、を意識していきます。
 
役職ついた職員の皆さんもくれぐれもお気をつけて。

2.平等と公平と酢豚

2020-05-14
みなさんはなんでも平等にするのが良いと思いますか。
 
均等や平等を理由によく議論になります。
僕は平等という言葉はあまり好きではありません。
平等が本質的に良しとするなら、すべて同じ給与になるでしょうし、同じご飯の量で、同じサイズの服になりますね。つきつめると、ですよ。間取りもすべて同じ家に住むとか?
 
平等なのは時間だけでしょう。法律もかな?
 
マスク二枚と給付金は平等か。
 
福祉施設には厚労省よりマスクが早々に届きました。これは平等ですかね、特別ですかね?
 
(※マスクのたくさんの方々からのご寄付について、別のブログで感謝の気持ち伝えます。ありがとうございます。)
 
簡単なことだし真理なのに、利用者さんへのサービス提供について、なぜか平等じゃないから問題だ、という意見が出てしまいます。もちろん、それは利用者さんへの熱意がある証拠だと思います。
 
頑張って結果を出す人が報酬が高いのは当然でしょうし、体の大きい人が、ご飯の量が多くて当然ですね。利用者さんなんか、少食の人に平等の量のご飯を持って行って、残したとなれば、頑張って食べましょうとか声かけして、業務日誌に○○さん〇割残す、と書いたり?平等に同じ回数だけ遊びに出かけたり?同じ金額だけ買い物したり?それはやはり無理がある話だと思います。もちろんみんなそれを知っています。
 
平等かどうかの議論はたいてい意味がないことが多いと思います。この世は時間以外、不平等なのだから。
 
こういう話になったとき、公平かどうか、という議論に置き換えます。そうすることで、わりと良い議論に変わり、みんな納得の結論になります。
 
たしかに、一つひとつを見れば、確かにこのサービスは、ほかの利用者さんに提供されていない、ということもあるかもしれません。それを平等ではないというと、そうです、その通り。
 
でも、サービスって、一つだけじゃないのでね。
 
無数のサービスの提供によって、トータル公平なサービスにたどり着くと思っています。その全体を見る目をもって、すべての利用者さんに行き届いたサービスになればよいなと思っています。
 
ずいぶん前の話ですが、
僕の大好きな酢豚が施設の給食に出たんですけど。
 
僕のお皿にはたくさん入れてくれたんですけど、お肉が一つしか入ってなかったんです。
 
ん?と思いました。分かってもらえますよね。
 
ほかの利用者さんにもこんなことがあったらまずいな、と思います。それぞれ体格に応じて量は違っても、野菜とお肉の配分がここまで極端に偏っていればちょっと問題だなと思うわけです。お肉いくつずつ、ニンジンいくつずつ、入れてください、なんていうことを言っているんではないですよ。
 
利用者さんはなかなか言葉に出せないですし、もし我慢して野菜しかない酢豚、もはや酢豚味の野菜を食べられていると想像してしまうと心苦しいわけです。
 
これは厨房に言わないと、と思って、「僕のお皿にお肉一つしか入ってなかった、野菜ばっかでしたよ。」と伝えましたら、「ごめんね、以後気を付けますね。」と、お互い、にこやかに話をしました。
 
次の酢豚の日がやってきました。
 
 
なんと、お肉しか入っていなかったんです。
 
 
「あれ、以前の話覚えてます?」「もちろん!前は野菜ばかりでごめんね!これはお詫び!」と言われました。あれれ。
 
 
完全に僕が食いしん坊の人で伝わってました!
 
 
当たり前ですね、お肉なかったよ!って言っただけですからね。
これは僕が悪いです。母親に「もっと肉入れてよ」という感じで言っただけですからね。
 
「思いを伝える」のは「相手がどうとらえるか」を考えないと、すれ違います。
お互い気をつけましょうね。
 
※厨房のみなさんには、個々に応じた調理法を工夫してくださったり、なによりいつも、おいしいご飯ありがとうございます。感謝しております。

1.立派になりたい

2020-05-13
 この度、ありがたいことに、理事長のブログが必要と、ある職員から熱意ある依頼があり、開設することになりました。
 社会福祉法人の理事長という重い職責を考えれば、理事長にふさわしい立派な文章でないといけないです。しかし、そんな文章は自分にはとても書けない。イケイケどんどんな私ですから、なおさら発言には要注意です。無責任な発言によって、職員を苦しめることになってしまうかもしれません。
 理事長として、静かにしておくのが一番いい。美しい。ましてやブログなんて話すだけリスク増やすだけではないか。
 悶々と悩みましたが、これも若気の至り、なんでも経験。いずれ読み返して恥ずかしい思いをする覚悟で、うそいつわりのない、できるだけ素直な気持ちでつづりたいと思います。少しだけブラフが入るかもしれません。それが自分らしいブログになるのではないか、と思います。
 事務局長時代、経営塾に通っていたことがあります。塾長はとても立派でした。私にはまだまだ足元にも及びません。塾長の招待するゲストの講師の方々も、やはり立派でした。私は立派になりたい。立派になれば、何も悪いことがない。利用者も保護者も職員もみんな幸せ。そんな幻想を理想に掲げて、日々努力を続けるという意味もこめて、ブログのタイトルは、「立派になりたい」にしたいと思います。
 どこまでも無知で、どこまでも浅はかな私ですが、何卒ご笑読いただけたら幸いです。
 更新は、最低月一、不定期で。よろしくお願いします。
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